年齢がかさむと、自分の優位を保とうとする傾向がある
ライフプランを考えていくことを考えるとき、ある程度の年齢になったら必ずやっておいてもらいたいのが、
できるだけすべてのことに「感謝する」という習慣を持つということです。
人は年齢を重ねていくにつれて物事に対する経験値が上がっていくせいか、
何か目の前で起こったことについてついつい批判的な意見を言いたくなってしまったり、
悪い点や文句を言いたくなる点ばかりを探してしまいたくなります。
もちろん若い時期からそうした性格の人もいますが、
若いうちは年齢が高い人に比べて知っていることの量が少なかったりするので、
年齢の高い人から批判されてもグッと我慢をしたり、
あるいは素直にそうなのかもしれないと思い返すことができます。
ですが、年齢が高くなり周囲の人が自分よりも年下が多くなってくると
つい自分は周りよりも偉いのだという思い込みをしてしまいがちになり、
素直に何かを認めるよりも否定をして自分の優位を保とうとしてしまいがちです。
周囲に感謝する
ですが、年齢を重ねたことで失われてしまうものも確実にあります。
それは人生の残り時間です。
人にそれぞれ寿命がありますので持っている時間の分量は平等ではありませんが、
それでも20歳のときよりも50歳の時の方が
人生を早くに終わらせる可能性が高くなるということは確実でしょう。
年齢がさらに進んでくると、自分を含めた周囲の大切な存在が、
ある日突然に失われてしまうということもあります。
長年連れ添った妻や夫、幼い頃からの友人や、育ててくれた両親、
その他自分の周りで親切にしてくれてきた人たちです。
普段の生活の中では、それらの存在はこれまでそこにあったように、
この先もずっとそこにあり続けるもののように感じますが、それは大きな間違いです。
早いか遅いかの違いで、いずれそれらは失われていく宿命を背負っているのです。
そうしたことを考えると、常にそこにあると思ってぞんざいな扱いをしておくべきなのかと、
今一度考えてみる必要があります。
もし自分が急に倒れてしまったときや、命の危機を感じるような事態になったときに、
それまでぞんざいな扱いをしてきた周囲の人は果たして自分のことを快く送り出してくれるでしょうか?
また反対に大切に思ってきた人が亡くなりそうになったときに、
それを素直に受け入れることができるでしょうか?
年齢を重ねたときにこそ、周囲に対する感謝をよりわかりやすく示していくということが、
人生において重要な意味を持つようになっていくのです。